三宅は万葉集に詠われた「三宅の原」「屯倉(みやけ)」「屯倉道(みやけぢ)」という名前に由来し、屏風という地名は聖徳太子が名付け親とされています。聖徳太子が斑鳩宮から飛鳥の小墾田宮(おはりだきゅう)へ通われた道を「太子道」と呼んでいます。屏風はその真ん中に位置し村にある白山神社(はくさんじんじゃ)は太子が休憩をされた場所として「腰掛石」というものが残っています。休憩をされた際、当時の村人が太子をもてなし、屏風をたてて風をしのいだことから「屏風」と名付けられました。それが屏風の里であります。この三宅町屏風の里は社会福祉の祖とも言われる忍性さんの生まれ里として有名です。


現在は小さな村ですが、かつては大きな村であったそうで、『屏風寺』という寺院がこの屏風の地に存在していました。現在はご本尊は阿弥陀如来様を御本尊とする浄土宗の寺院としてひっそりと村の中にあります。村の外からはわかりにくく、駐車場もない典型的な小さな村のお寺です。


ただ忍性さんの御木造をお祀りしていたり、念仏講や詠唱講、公文のかきかた教室をしていたりとけっこうわいわいがやがやとしているのが特徴です。

浄土寺住職  :  藤田宏至
浄土寺の住職として法事や葬儀等を行っています。現在、平日は仕事かけもちの為、お寺におりません・・・。
『和顔愛語』をテーマにイラストを描いています。浄土寺 HP担当。

公文のせんせい  :  藤田美穗子
浄土寺で『公文かきかた教室』を開いています。
子供たちと火曜日と木曜日はわいわいがやがや、くもんをしてます。

先代住職と母  :  お念仏の聖者のような父といきおいのある母
現在もお寺のおもりを中心にしてくれている頼りの二人。本当に有り難い存在。