忍性菩薩

浄土寺は忍性菩薩の生まれ・三宅町屏風にあります。
平成30年、忍性菩薩の生誕800年を迎えました。
さかのぼることそれより10年前
先代住職 藤田能宏が発願し、
当時生まれられたこの屏風の地に忍性菩薩をお迎えしました。
鎌倉極楽寺に祀られてある忍性菩薩さまを模刻し、
平成31年7月16日屏風浄土寺にお迎えしました。


お造り頂いた仏師は吉水快聞氏、

鎌倉極楽寺の忍性菩薩像を模刻してくださいました。

模刻ではありますが、そこはオリジナルにない見事な彩色と、

先代住職の想い、吉水快開仏師のこだわりのある

忍性菩薩像をお祀りしています。


鎌倉極楽寺の忍性菩薩さまと浄土寺の忍性菩薩さま

どこが違うかわかりますでしょうか?



若き忍性  ・誕生から東大寺

建保5年(1217)7月16日屏風にて誕生。父は伴貞行、母は榎氏の出身。安貞元年(1227)11歳の時学問の為信貴山に上がる。貞永元年(1232)母の死。それを縁に額安寺に八ヶ月住し剃髪出家。

天福元年(1233)17歳で東大寺登壇授戒。その後も幼い頃から信仰していた文殊菩薩を篤信

師 叡尊との出会い  ・東大寺から奈良での活躍

東大寺から奈良での活躍延応元年(1239)叡尊と出会い、十重戒・具足を受け、仁治元年(1240)西大寺に遁世して入寺下。その後叡尊と共に戒律の大切さを広めると共に、社会事業を行っている。寛元元年(1243)初めて関東に下向し、7月には帰寺。寛元3年(1245)には行基誕生の地という家原寺で別受戒を叡尊はじめ同法と共に受ける。

関東へ  ・35歳 関東へ

建長4年(1252)には関東への想いが強く師のもとを去り再び東下。時に35歳。

常陸の三村寺、鎌倉大慈寺釈迦堂・光泉寺・多宝寺とも関係し、幕府の要人とも交渉をもった。文永4年(1275)8月以前から縁のあった極楽寺に本願の七回忌を契機として止住する。

極楽寺に止住し、教化活動・社会事業・寺院経営等に精力的に活動を行う。

極楽寺で入滅  ・入滅後の忍性菩薩

嘉元元年7月12日鎌倉極楽寺で大往生をとげる。嘉暦3年(1328)年5月26日には、菩薩号が朝廷より宣下され、以後忍性菩薩とよばれる。現代ではこの忍性菩薩のハンセン病患者の救済活動は鎌倉版マザーテレサともいわれ、忍性菩薩亡き後も文殊信仰に基づき、律僧たちはハンセン病患者の救済にあたった。